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私の愛聴盤(第9回)

2013-03-27 | 私の愛聴盤
第9回はチック・コリアの「ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス」です。

チック・コリアは、1941年6月12日マサチューセッツ州チェルシー生まれで、ジュリアード音楽院卒業後ブルー・ミッチェル、ハービー・マン、モンゴ・サンタマリアらとの共演からキャリアをスタートしています。
イタリア系とスペイン系の血をひいていることから、メロディにもリズムにもラテン系が多く、その系統の音楽について初期の作品の中から拾ってみると、1971年に発表したピアノ・インプロビゼーション第1集の中のサムタイム・アゴーや、続いて1972年に発表され大ヒットとなったリターン・トゥ・フォーエヴァーで聴くことができます。
そしてチック・コリアの音楽は、ジャズを主体とするも、ボサノヴァ、ロック、フィージョン、クラシックと幅広い分野での演奏があります。
   

レコーディング・デビューは、1964年にブルー・ミッチェルのリーダー・アルバムに参加した「ダウン・ウイズ・イット」辺りではないかと思われ、これについては日野皓正の自作曲である「アローン・アローンアンドアローン」で紹介済です。
また最初のリーダー・アルバムは、1966年の「トーンズ・フォー・ジョアンズ・ボーンズ」というピアノ・トリオによるもので、今回取り上げる「ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス」は2番目となっています。
チックはこの時期、ハービー・ハンコックに代わってマイルス・デイビスのバンドにも参加しており、マイルスのアルバムでいうと、1968年のキリマンジャロの娘から1972年のオン・ザ・コーナーまでのレコーディングに参加していました。
また1970年には「サークル」というバンドを結成し、一時期はフリー・ジャズの演奏を行っていたこともあり、その成果は公式的には4枚のアルバムで発表されています。
この手の音楽は、当時私が好んで聴いていたものなので、後日改めて書きたいと思っています。

ということで、今回のアルバムを紹介します。
「NOW HE SINGS, NOW HE SOBS」 Solid State SS18039
    
 1. STEPS WHAT WAS
 2. MATRIX
 3. NOW HE SINGS NOW HE SOBS
 4. NOW HE BEATS THE DRUM - NOW HE STOPS
 5. THE LAW OF FALLING AND CATCHING UP

 6. SAMBA YANTRA
 7. BOSSA
 8. I DON’T KOW
 9. FRAGMENTS
10. WINDOWS
11.GEMINI
12. PANNONICA
13. MY ONE AND ONLY LOVE
CHICK COREA(p) MIROSLAV VITOUS(b) ROY HAYNES(ds)   1968年3月14、19、27日録音

このアルバムは当初上記の1~5までの5曲がレコード化され発売になりました。
そして版権がソリッド・ステートからEMIに移った時に、当時のプロデューサーであったマイケル・カスクーナによってブルーノート音源の発掘作業が行われ、再発2枚組として全曲が日の目を見ました。
よってこの時点で既にボサノヴァや、セロニアス・モンクのオリジナルなどもレコーディングされていましたが、発表されたのは後になってからです。
余談ですが、10曲目のウインドウズは、1967年3月にスタン・ゲッツの「スイート・レイン」というアルバムでもレコーディングされ、その後も度々演奏されています。
 

また「ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス」のLPジャケットに解説書は無く、代わりにチック自身の呪文のような文章が掲載されていて、当時キングから発売になった日本盤のレビューを担当した油井正一さんは、タイトル曲も中の文章も「何のことかさっぱりわからん」と言っていました。
発売時にスイング・ジャーナル誌のレビューを担当したのは、独特の表現で人気のあった植草甚一さんでしたが、その記事をジャケットと共に掲載しました。
ちなみに植草さんが亡くなった時、膨大なレコード・コレクションを譲り受けたのはタモリです。

このアルバムが日本で発売になった時、ジャズ・ジャーナリズムは「スゴイ新人が登場した」と言って非常に高く評価しましたが、一時帰国した秋吉敏子さんは、アメリカにはキース・ジャレットというもっとすごい新人がいると言っていました。
当時日本では、チャールス・ロイドのバンドに在籍していたキースの存在は知られていましたが、評論家の間ではやれチックだ、いやキースだと言い合っていた時代もありました。
そしてこの1968年は、ハービー・ハンコックがBNへ「スピーク・ライク・ア・チャイルド」を、またキース・ジャレットはヴォルテックスへ「サムホェア・ビフォー」をレコーディングしている重要な年でもあり、このアルバムが吹き込まれたのも45年前の3月ということになります。

そしてこれが今でも高い評価を受けているのは、ビル・エヴァンスより一回り若いチック・コリアが1968年という時点で、全く新鮮な感覚の音楽を作り出していたことと、共演したミロスラフ・ヴィトウスと、ロイ・ヘインズとの3者から生み出される緊張感が素晴らしいからです。
それは上記13曲の中から5曲だけが選ばれて、最初に世に出たことからも納得できます。
他の曲も演奏は良いですが、仮に2枚組で全曲が網羅されていたらアルバムの統一感に欠けるため、これほどまでに高い評価は得られなかったと思います。

チック・コリアをリーダーとするこのグループは、その後も度々共演しており、1981年11月には即興曲とセロニアス・モンクの曲によるLP2枚組の「トリオ・ミュージック」を、また1984年9月にはスタンダードとオリジナルによる「トリオ・ミュージック・ライブ・イン・ヨーロッパ」を共にドイツECMに残しています。
そして最近では、NYのブルーノート・ジャズ・クラブに出演したDVDも発売され、スタンダードを演奏しています。
この映像はDVD10枚組の内の1枚で、チックがこれまでセッションしてきた様々なメンバーで、それぞれ成り立っています。
     

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